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罪を罪として認識でき、それを主に告白できることの幸い

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★今朝は、悔い改めの詩篇として知られている詩篇第32篇に聞きます。
[03]わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。[04]あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。[05]わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「わたしのとがを主に告白しよう」と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。
★詩人は、「主」が「罪」と判断なさる「罪」を「自らが犯してしまった」ことを知っています。しかし、それを知りつつも、詩人はその事実を放置していたのです。それ故、詩人はその結果を体験するようになります。詩人の言葉で言えば「
ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰え…」、「わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。」のです。★詩人は問題の解決方法を知っていました。自分の罪を主に知らせ、自分の不義を主に隠さないことです。「わたしのとがを主に告白しよう」。詩人はこれを実行したのです。★この具体的実践が詩人にもたらしたものは「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者…主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。」という恵みの体験でした。★罪人である私たちにとって、罪を罪として認識でき、かつ主なる神様に対してその罪を告白できることは幸いなのです。
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