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心の照準を何処に置くのか

★今朝は、伝道者パウロの言葉を確認します。(01)兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。(02)もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。★ここでパウロは「わたしが以前あなたがたに伝えた福音」と語っています。この福音は、パウロ書簡の中に記されています。ですから「あの福音を思い起してもらいたい」と語られていますが、私たちはその福音をパウロ書簡から、確認することができます。★またパウロは「わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである」と語っています。「わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば」との言葉から、福音と呼ばれつつも、パウロが宣べ伝えた通りではない別ものの教えが登場してきていると推察されます。もちろん、そのまがいものの福音では「救われない」のです。★説教者を「福音を取り扱う者」と呼ぶなら、パウロの言葉はまず、説教者の務めの重さを伝えます。と同時に、福音を聴く者達もまた、このパウロの言葉をないがしろにはできません。パウロの語った福音が届けられているにもかかわらず、自らがその福音を歪めてしまう傾向を持つからです。まさにその時、信仰が無意味になってしまうのです。★聴く、理解するという単純とも思える働きの中に罪が容易に入り込みます。主イェスをいつも思うこと。聖霊の働きをいつも願うこと。この勧告に心の照準の置き所を思います。
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