「心をもつ者」である私たち
17/07/16 00:00
★「折々のことば458」に次の言葉が紹介されていました。★「心をもつ者」として扱われることによって、またそのことだけによって、心は発生し成長するのだ。(下條信輔)◇乳児に、ペットに、「心」はあるか?この問いは間違っていると認知心理学者は言う。私が語りかけ、また私に語りかけてくる者として相手を扱うことの結果として、「心」は生まれてくる。だから「心」は脳における神経生理的な過程として分析されるより先に、交わりという場面で問われねばならないと。「まなざしの誕生」から。★私は、人間は「胎児の時」既に心を持っていると考える立場であることをお伝えした上で述べさせてもらいます。★私がこの認知心理学者の言葉から聞き取ったことは二つあります。第一は、人間相互を「私が語りかけ、また私に語りかけてくる存在」という視点で考えるということです。第二に、ですから「心」は、交わりを必要とするということです。★人格的な存在として創造されている私たち人間に対して、「自分と同じように自分の隣り人を愛しなさい」という律法を備えられた創造主の英知がこのような場面で確認できることは、言わば当たり前のことなのですが、逆に言えば、21世紀に生きる私たちが「神の口」から出たこの「言葉」を見失っているからだと考えます。★イエス・キリストの福音は、私たち一人一人を「心をもつ者」として扱ってくれます。そして、イエス・キリストの福音は、創造主と私たち人間の「交わりの回復」を目指していますし、同時に、私たち人間相互の「交わりの回復」をも目指しています。