牧師のページ

歴史に繰り返される、人間が生み出す悲惨を前にして

★今週もルターの言葉を聞きます。御言葉は、詩篇第130篇5節のです。「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。
◆神に目標を示し、時と方法を決め、自分にとって望ましいように神に向かって提案しようとする人々がいるものである。そして、彼らは、もし、それが自分の思い通りにならないと意気消沈したり、ほかに助けを求めたりしたがる。◆この人々は待ち望んでいない。彼らが主を待つのではなく、神が彼らを待ち、直ちに準備して、ちょうど彼らが思い描いていたような仕方で救うはずだと彼らは思っているのである。◆しかし、主を待ち望む人々、彼らは恵みを求めるが、いつ、どのように、どこで、何によって神が彼らを救われるかについては、神のよいみこころに委ねておく。◆彼らは救いを疑わないならば、自分で救いを名付けず、神が救いに洗礼を授け、名付けてくださるままにしておき、そこで際限もなく長い間であっても、じっと待たされているべきなのである。◆しかし、自分で救いに名を与える者には、救いは与えられない。なぜなら、彼は、神の諭しや意志やしつけを受けられないからである。★このルターの言葉からは「委ねる」という言葉と「待ち望む」という言葉が聞こえてきます。★今の世界情勢を見渡した時「和解」や「平和」という声からほど遠い地域がここかしこに存在しています。それだけでなく「解決への努力が報われない」という姿も見て取れます。当事者でない為に有効な手が撃てないもどかしさだけでなく無力感も感じています。★「マラナ・タ(われらの主よ、きたりませ)」。
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