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狭い門から入れ


★今日は、この言葉です。「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」とても鮮やかなコントラストです。★既に語りましたように、大きな文脈で言えば、「まず神の国と神の義を求めよ」と始まり「求めよ、捜せ、門をたたけ」と続き「狭い門からはいれ」となっています。この大きな文脈に基いて考えれば、この一連の段落の主題は「神の国」と解釈することが出来ます。この解釈に立ちますと、命にいたる門とは「神の国」にいたる門となります。今日はこちらの門に焦点を当てます。★そうしますと次に確認することは、狭い門と神の国の位置関係です。主イエスの言葉によれば、まず狭い門があり、続く道も狭く、その狭い道を通って神の国に到達するというイメージになります。★それでは、ここで言う「狭さ」とはいったい何を意味するのでしょうか?この問に対する現実的な答えは数多くあります。それはそれとして、今日は原理的な答えを考えます。他の福音書に記された主イエスの言葉によれば、主イエスは「わたしは門である。」と語っておられます。また「わたしは道であり、真理であり、命である。」とも語っておられます。と言うことは、聖霊によって身ごもったマリアから生まれ、十字架刑によって殺され、しかし、三日目に復活し、天に昇り、最終的な裁きの時再臨されるイエスの持つ狭さだと考えられます。つまり、イエスという一人の人格に全てがかかっているという狭さとも言い換えられます。★ヘブル書の著者と共に、「イエスを仰ぎ見つつ、走ろう」です。
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