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キリスト者の側の粘り強いしつこさ


★「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。」今回は、この主イエスの言葉を考える第3回目です。★まず最初に、よく知られている事柄から確認します。実は、ギリシャ語の直訳で言えば、ここに登場している3つの動詞には継続の意味があるのです。つまり、「求めつづけよ・捜し続けよ・たたき続けよ」ということです。★この点を理解して、先ず、後半部分に注目してみましょう。そうしますと、この後半の言葉は、「すべて求め(続け)る者は得、捜(し続ける)者は見いだし、門をたた(き続ける)者はあけてもらえる」となります。このように翻訳できることがわかりますと、次に、視点を変えて言い換えれば「得ることが出きるのは、求め(続け)るからだ」、「見出すことが出きるのは、捜(し続ける)からだ」、「門をあけてもらえるのはたた(き続ける)からだ」となります。★最後に、後半の言葉は、前半の言葉の言い換えなのではないか、という視点に立ちますと、ここでの強調点は、人間の側が、積極的に求め続けることであり、積極的に捜し続けることであり、積極的にたたき続けることなのだ、となります。★このことを大胆に言えば、「あきらめずに求めよ、そうすれば、与えられるであろう。あきらめずに捜せ、そうすれば、見いだすであろう。あきらめずに門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」ということです。私たちキリスト者は、主なる神様に対して、もっと粘り強く、且つしつこくて良いのです。
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