キリスト者にとっての「大前提」
25/02/18 00:00
★物事を考える時に、私達が「大前提」と呼ぶ領域があります。この「大前提」があって、私達は思考を組み立てます。あまり聞かない領域のことで恐縮ですが、私達が一般教育で学ぶ幾何学には「平行線は交わらない」という大前提があります。この幾何学を「ユークリッド幾何学」と呼びます。これに対して「平行線は交わる」という大前提を持つ「非ユークリッド幾何学」があります。簡単に言えば、地球のような「大球面」をお考えください。赤道直下で1m離れた二人がそれぞれ北極を目指して地上に線を引きます。地上にいる二人は平行線を引いているように感じますが、実際は北極点で交わる線を引いています。★以上のように「ユークリッド幾何学」は「平面」を大前提とした幾何学であり、「非ユークリッド幾何学」はそれ以外の曲面を大前提とした幾何学なのです。★このことを理解した上でパウロの言葉を聞きます。「ユダヤ人のすぐれている点は何か。また割礼の益は何か。それは、いろいろの点で数多くある。まず第一に、神の言が彼らにゆだねられたことである。すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」と書いてあるとおりである。」★キリスト者にとっての「大前提」は「神が真実であり、神の口から出る言葉も真実である」ということです。ですから、この大前提を否定する言葉に対しては「断じてそうではない」となるのです。