批判が批判だけで終わらないために
15/07/12 00:00
★使徒パウロは、エペソ人への手紙第4章29節で次のように勧告しています。「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。」この勧告が語られた文脈、ないし枠組みは、「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。また、悪魔に機会を与えてはいけない。」となっています。★細かい議論を脇に置けば、「悪い言葉を口から出すこと」が「悪魔に機会を与える」ことの一つだと言えます。★加藤常昭師は、ルターがこの「悪い言葉」を「腐った言葉」と翻訳したという事実を伝えた上で、次のように述べています。内臓が病むと、そこから出る息も腐ったような臭いをたてる。私たちのこころが腐ると言葉が腐る。腐った言葉はひとに神の恵みを伝えることはない。相手が倒れているとき、これを立ち上がらせてあげる言葉にはならない。批判の言葉が全てこれに該当するとは考えませんが、確かに落とし穴はすぐ近くにあります。★このパウロの忠告をを踏まえつつ、大津市の中学2年生が自殺した事件について述べれば、学校側の言葉にも、市教育委員会の言葉にも、私は「腐った言葉」の臭いを感じます。また、滋賀県警が動き出しましたが、中学生のご両親は、被害届を県警大津署に3回提出しようとしたが、いずれも受理を拒否されています。★主なる神様は、イスラエルの民を捕囚する外敵に対して、「彼らは老人の身を顧みず、幼い者をあわれまず」と語っています。いつの時代も、キリスト者は「人の徳を高めるのに役立つような言葉」に生きることが求められています。