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死のからだを持つ自分の“みじめさ”を受け入れて歩むために

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★最初にルターの言葉です。☆悪魔のやり口と正真正銘の顔色を、人はよく知っておくべきである。悪魔というのは、大きな罪を、人が見ることができないほど小さくし、逆に、小さな罪を、人がそのために、自分をさいなみ頭を悩まして、自分自身を殺してしまうほど大きくできるような、そういう悪党なのである。だから、キリスト者は、悪魔にやすやすと良心を損なわれないようにすることを学ぶべきである。☆もし、彼がキリストを信じて義しくありたいなら、できる限り罪に対して闘い、それでも時には、転んだりつまずくことがあるのを覚悟しておくことである。☆その時、キリスト者は、このようなつまずきによって、悪魔に彼の良心をだいなしにされないように気をつけて、こう言いなさい。「この間違いやつまずきは、私の他の罪や欠陥とともに過ぎ去ってしまうように。」☆これを私は、私の信仰箇条と、第五番目の祈りの中に付け加えよう。「我らの罪をゆるし給え‥‥」と。★この言葉を語るためにルターが準備した御言葉がこれです。「わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。」★この御言葉は、専らキリスト者を「あまやかす」のか、それとも「居住まいを正させる」のか、意見が分かれるように思えます。しかし、キリスト者の側から正直に言えば、恐らくその両方の結果が私たちの内に起こるように思えます。ですからルターの語るように、主の祈りが与えられていることが恵みなのだと考えるのです。
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