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目の中にチリを持つ者同士が共に生きるために


★今日はこの言葉です。「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」★「さばく」という事は「判断する」という意味でした。この視点に立ちますと、主イエスの比喩が理解しやすくなります。また、今日は解釈の視点を変えて次のように聞き取ります。この比喩が明らかにしているのは、第一に、相手にも判断力があるということです。つまり、こちらの目にチリがあることが相手の目には見えているということです。目にチリがある人に治療は任せられないでしょう。明解です。★第二に、相手の目には、こちらの目の中にチリではなく梁が見えているということです。これは、一般的な例で言えば、「クリーンな政治を」と訴えている本人に多額の政治献金疑惑が存在することです。キリスト者で言えば、愛のない人が愛を教えている姿です。★それなら、「兄弟の目からちりを取りのけることをやめてしまえ」と考えたくなりますが、主イエスは「自分の目から梁を取りのけるがよい」と語られます。これを肯定的な比喩で言えば、人の語る言葉の信頼度は、その人の人格的成長の度合いに比例するということです。「兄弟の目からちりを取りのける」ことは必要な行為なのです。その働きを担うために、自分が成長させていただくという苦難の道を具体的に選び取り、労力をかけるかどうかが問われてくるのです。
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