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虚無の力がもたらしたものを回復させる責任

★使徒パウロの記した言葉にこうあります。(19)被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。(20)なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、(21)かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。(22)実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。(ローマ人への手紙第8章)★パウロは「被造物が虚無に服している」と述べています。それも「服従させたかた」によるとも記しています。このパウロの言葉を私は次のように解釈します。つまり、アダムがアダム契約に違反した際、その契約違反の結果(虚無)は人間だけに及んだのではなく、被造物全体にまで及んでしまったということです。★私たち人間は「自然の驚異」という表現を用いて、人間の力では、自然をコントロールすることができないことを認めています。しかし、パウロが「被造物全体」と語る時、その意味する所は、被造世界全体であると、私は解釈します。ですから、人間は「自然をコントロールすることができない」というよりもむしろ、罪の結果「自然をコントロールする力を失っている」ということでありましょう。また同時に、自然そのものも、定められた領分を越えて「虚無に服した動きをしてしまう」ということなのではないかと考えるのです。ですから「被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けている」のです。★キリスト者は、虚無の力がもたらしたものを苦しみつつ回復させる責任を持つと考えます。
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