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信仰の持つ主体性と恩寵性

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★主イェスを死からよみがえらせてくださった創造主の御名を心から崇め、褒め称えます!★ヘブル人への手紙第11章1節に信仰の定義とも言うべき言葉が記されています。①口語訳、②新改訳、③新共同訳の順に抜粋します。
①「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
②「
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
③「
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
★これらの定義を比較しますと、新改訳は口語訳や新共同訳のそれとは、微妙に異なることに気づきます。言語力不足を感じつつもその差異を述べますと、口語訳や新共同訳が語る信仰は、信仰者の側が行う判断そのものと言えます。それに対して、新改訳が語る信仰は、信仰者の側が行う判断を支え導くものと言えそうです。★この両者の微妙な相違は信仰の持つ両面性、即ち、主体性の面と恩寵性の面との相違のように思えます。復活された主イェスにトマスがお会いした時、トマスは「わが主よ、わが神よ」と告白します。この時何が起こっているかを考えますと、「わが主よ、わが神よ」と告白しているのは間違いなくトマス自身の主体性です。しかし同時に、私たちは、この告白は主イェスが疑いを持ったトマスに出会って下さった結果であるという恩寵性を感じ取るのではないでしょうか。★主イェスは「
見ないで信ずる者は、さいわいである」と語られましたが、私たちの信仰の告白には、一方では聖霊による恩寵性があり、他方、信仰の主体性を生み出すのは、啓示の書である福音書の記事です。
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