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エゼキエル書第34章の預言から、主イェスをダビデの子と信じる

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★9/9の主日、マルコによる福音書第12章から講解しましたが、主イェスの登場が「ダビデの子」の登場であるということを、エゼキエル書第34章の預言の言葉から確認しました。今日のこのコラムでは、次回のための準備として、同書第34章16節23節から中心点を取り上げておきます。★「わたしは、わたしみずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す」と主なる神様が語られた理由は、当時のイスラエルの民の指導者達が腐敗していたからだと確認し、そのことを下敷きとして、主イェスが当時の霊的指導者であった律法学者たちを批判した理由を読み解きました。★次回は、16節の後半を下敷きにします。(16)わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くし、肥えたものと強いものとは、これを監督する。わたしは公平をもって彼らを養う。この言葉の後半を拾えば「わたしは、肥えたものと強いものとは、これを監督する。」とあります。これが、23節で「わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。すなわちわがしもべダビデである。」と語られる「主のしもべダビデ」の働きです。★このことから、同書第34章をメシヤ預言と読むなら、「ダビデの子」が登場した時には、神の国の先取りとして、17節に語られているように、「主のしもべダビデ」によって「あなたがた、わが群れよ、見よ、わたしは羊と羊との間、雄羊と雄やぎとの間をさばく。」ということが起きるということです。★主イェスの行為がそのように解釈できるなら幸いです。
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