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「死のからだ」を持ちつつも正しく被造世界に対峙する

★今朝は、パウロが語ったローマ第1章20節23節に聞きます。

[20]神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。
[21]なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。
[22]彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、
[23]不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。

★すぐに気づきますが、ここで語られている言葉は叱責の文脈の中にあります。しかし、パウロが第7章で語ってくれました「死のからだ」のことが理解できますと、私たちキリスト者は、この言葉を切り分けることが出来ます。★「死のからだ」を持ちつつも、全ての人間は「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とを被造物において知っている」のです。しかし、まことに残念なことに、「死のからだ」を持つ人間は「神の永遠の力と神性とを感じ取った被造物」を「神としてあがめ礼拝してしまうのです」。その結果が「不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである」という事です。★それではキリスト者は如何に?「死のからだ」を持ちつつも「神の永遠の力と神性とを感じ取った被造物」を通して「創造主なる神をあがめ感謝する」のです。★「空の鳥、野の花、野の草…」を見て、共に、主イェスの言葉を思い起こしましょう!

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