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悲しむことよりも怒ることを優先させる“私”に対して

sna-095
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。(マタイ5:4)
ルターはこの言葉の実践的適用として、次のように語ります。「今はこの世が笑って、その欲望と気まぐれによって、贅沢な暮らしをするがままにしておきなさい。そして、もし、あなたが嘆き悲しみ、日々あなたの心を悲しませるものを見なければならないなら、この御言葉によって耐え、自分を支えなさい。」★この言葉に導かれて、私には詩篇37篇が提示されています。
[01]悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。[02]彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。[03]主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。[04]主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。[05]あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、[06]あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。[07]主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。[08]怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。[09]悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。
★「怒りと憤り」の故に「神の御旨を脇に置いてしまう」ことは、「慢心」の故に「神を脇に置いてしまう」ことに等しいと聴き取りました。主なる神様は私に対して、このことを心せよと語っておられるのだと思います。
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