牧師のページ

「選び」が無条件の恵みであると受け止められるまで

plt-17
★使徒パウロの言葉を聞いてください。エペソ第1章35節です。
[03]ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、[04]みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、[05]わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。
★コラムという限られた字数の中で論じるのは愚かですが、舌足らずになることを覚悟して語ります。この言葉を読んですぐに気付かされるのは4節のこの言葉です。「天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び…」★大きな言い方をしますが、知的な現代人が一番受け入れ難いのは、自分という存在を支配する存在が自分の外側にいる、ということでしょう。ですから、宗教を認める人たちでも、人間の自由意志を否定する言葉には必ず反発します。★ところが、驚くべき事に、パウロのこの言葉が語るのは、「選び」であります。キリスト教信仰を持った人たちの中でも、この「選び」の啓示に対しては、この啓示を受け入れるか受け入れないかで、立場の異なる教派を生むという結果を生みました。★そのことをふまえつつ、口うるさく述べますが、私たちには「旧新両約聖書」という、翻訳ではありますが記述された、主なる神様からの言葉が与えられており、いつでも読むことが出来ます。この言葉に聞くことなく、この言葉から離れて「選び」の啓示を考えるようにとはなっていないのです。
RapidWeaver Icon

Made in RapidWeaver