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インマヌエルのゆえに、もはや「暗い中」を歩む必要がない

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★イザヤ書50章の「メシヤ預言」にこうあります。「主なる神は教をうけた者の舌をわたしに与えて、疲れた者を言葉をもって助けることを知らせ、また朝ごとにさまし、わたしの耳をさまして、教をうけた者のように聞かせられる。主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは、そむくことをせず、退くことをしなかった。」ここに語られる「わたし」が「メシヤ」です。★ヨハネによる福音書12章49,50節に主イェスご自身が語られた言葉がこう記されています。「わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである。」★イザヤは「メシヤ」のことを「しもべ」と呼んで、次ように語ります。「あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべ(=メシヤ)の声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。」しかし、人間にとって「」を得ない状態は苦痛なのです。ですから「見よ、(自ら勝手に)火を燃やし、たいまつをともす者よ、皆その火の炎の中を歩め、またその燃やした、たいまつの中を歩め。」その結果「あなたがたは、これ(=本物の光)をわたしの手から受けて、苦しみのうちに伏し倒れる。」となるのです。★「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」今この時、私たちには、ヨハネの記すこの「」が既に与えられているのです。
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