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誰とも同じではない自分が生きている

★私が最初にマタイによる福音書第25章に記された「タラントの譬え」を学んだ時、それは、救済論だけから読み解くことでした。その時は、それで納得していたのでしょうが、しだいに、それだけでは、どうしても心に落ちない思いを持つようになりました。★預けられた財産に対する決算の場面を描いているのが次の個所です。[19]だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。[20]すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。[21]主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。[22]二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。[23]主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。★これは、創世記に啓示されている社会的責任の根拠である文化形成命令が、人間一人一人によって、如何に果されたのか、ということが問われている場面に思えるのです。私たち一人一人は、創造主によって、命を与えられ、異なる賜物を与えられ、異なる時代と状況を与えられ、生かされています。私たちは、常に「与えられている自分、人とは異なる自分をどう生かすのか」という課題に生きているということです。
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