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「神のかたち」に創造された人間の責任

★聖書の第一声は、「はじめに神は天と地とを創造された。(創世記1:1)」であります。ヘブル人への手紙の著者は、こう受けています。「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。(ヘブル11:3)」21世紀のキリスト者は、「この世界」を「この宇宙」と読み替えて理解しますけれども、ヘブル書の著者と同じ信仰理解を持っています。自分の存在をも含めて、わたしたちの見るもの全てが、創造主なる神様により、はかり知れないご計画とご意志に基づいて創造されたものであることを信じます。★ここから再び創世記にもどります。「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。(創世記1:31)」。人間を「物」と呼ぶことに違和感を感じたのでしょうか、口語訳で「物」と翻訳しました個所を、新改訳も新共同訳も「もの」と翻訳しました。翻訳の言葉の妥当性はともかく、31節の主旨は、人間をも含めて、創造主なる神様以外のものは全て「被造物」であり、その全ての「被造物」は「はなはだ良かった」のです。★ですから、キリスト者は、創世記を読むたびに、創造主なる神様の祝福を受けて創造され、「はなはだ良かった」と宣言された被造世界全体を「正しく管理する」責任を再確認します。同時に、その責任を全うするための根本原理が、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」であると再確認します。今年も又、自分の生かされている現場で、真理の御霊の助けを受け取り、この管理責任を果したいと決断いたします。
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