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もっとも驚くべき逆説

sna-099
★主イェスのお言葉の中で最も驚かされる言葉が「罪の女」と呼ばれている女性とパリサイ人シモンとの対比の中で登場しています。
[36]あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。[37]するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、[38]泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。[39]イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」(ルカ第7章)。
★主イェスはこの女性の行為に対して次のように説明します。
[47]…この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。[48]そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。
★ここで主イェスが語っておられることはこういうことです。主イェスに対する行為の中にどれだけの愛を込めるのかは、主イェスが罪を赦す御方であり、事実、主イェスは、自分ほどの罪人でさえ赦して下さるのだという「信仰的赦され理解度」に比例するのだ、ということです。★聖書が啓示する意味で自分を「罪人である」と理解出来れば出来るほど、人間的な自尊心は絶望的に激減しますが、そのどん底で福音信仰に立つなら、主イェスからいただく「赦し」の大きさが分かり「感謝の応答」へと結実する、ということです。
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