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「神の存在」はいとも簡単に否定されている

sks-27
★ヘブル人への手紙の著者が「信仰」について次のように定義しています。「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」この定義が伝えているのは「信仰者」は「望んでいる事がら」を「まだ見てはいない」けれども、それは「事実なのだ」と先取りしていると、いうことです。★この定義の後、著者は「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。」と語ります。★現代人の多くは、この言葉に「非科学的」のレッテルを貼るのではないかと推察します。しかし、ちょっと待って下さい。昨日、JAXAの探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」に着陸したニュースと共に、「これで宇宙の起源について解明が進むのだ」という、かなり断定的な言葉が語られました。★この断定的な言葉は、「信仰」の定義を「類比的」に用いて、次のように語ることが出来ます。「探求する熱心とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」★この言葉からご理解いただけますように、「熱心な探求者」は「望んでいる事がら」を「まだ見てはいない」けれども、それは「事実なのだ」と先取りしていると、いうことです。ですから「宇宙の起源について解明が進む」かどうかはまだ「事実ではない」のです。全く同じ論理構造にもかかわらず、神の存在の方はいとも簡単に否定されてしまうのです。
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