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伝道者バルトの言い換え

★まず最初にローマ人への手紙第1章16節です。
[16]わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。
★K牧師がこの御言葉に対する神学者カール・バルトの逸話を提供しています。バルトは「わたしは福音を恥としない」というこの箇所を「私は、福音が勝利するために、思い煩わない。」と言い換えたとのことです。バルトはこうも言っているとのことです。「もし神が真実の神でなかったら、わたしたちのことを恥ずかしく思うことであろう。」そして最後にもう一つ。「福音は、自分のために一所懸命主張したり、自分を担ってくれる人間を必要としない。そうではなくて、福音を聴き、これを宣べ伝えようとする者のために、福音そのものが常に弁護し、これを支える。」★これを受けてK牧師は語ります。「福音を語り、福音を生きようとするとき、人間としての恥ずかしい思いがつきまとう。ユダヤ人であっり、知識人であったパウロも、その恥ずかしさを知っていた。だがそれに打ち克つ道は強がりでも何でもない。委ねられた福音のために思い煩わなくなること、その一点にあるのである。」★私は、最後の言葉に心が止まりました。「
福音を聴き、これを宣べ伝えようとする者のために、福音そのものが常に弁護し、これを支える。」この言葉を先に聞けば、「私は、福音が勝利するために、思い煩わない。」というこのバルトの言い換えが、彼の伝道生活に裏打ちされているのだと判断出来ます。そして、そうであるが故に、このバルトの言い換えを心に納めることが出来ます。
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