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信仰を働かせるとは

sks-05
★有名な「信仰」に関する定義です。「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。(ヘブル11:1)」この言葉が語っている内容を説明するために、丁度オリンピックでもありますから、オリンピック選手(アスリート)の「メンタルトレーニング」を取り上げます。★ほとんどのアスリートは、自分の出場する種目のスタートからゴールまでを思い描くというトレーニングをします。現オリンピックで言えば、団体で金メダルを取った体操の選手たちは、自らの試技の全てをもちろん身体で覚えてしまうわけですが、その土台となるのは、日々、自らの身体の全ての動きを心で思い描きつつ練習を重ねることです。ですから、ほとんどのアスリート達は競技に参加する以前に、既に何度も競技を終了しているのです。★このことを理解した上で、先の御言葉を考えますと「望んでいる事がら」とは、人間の中から生まれる自由な願望のことではなく、基本的に、神の言葉に基づいて示される「希望」のことです。ですから、時には、その「希望」を示されたキリスト者の側では「それは実現不可能」と思えるよう場合があります。そのような時に、キリスト者(信仰者)に求められているのが、神の言葉に基づいて「まだ見ていない事実を確認する」という行為です。★アスリートの人達が実践すれば「まとも」であっても、キリスト者がこの信仰を働かせると「愚か」であると評価されるかもしれません。しかし、気にすることはありません。
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