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共同体が成長するための生命線

★今朝は箴言からまず二ヶ所引用いたします。第15章17節と第17章1節です。共に口語訳です。「野菜を食べて互に愛するのは、肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる。」,「平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。」★この二つの箴言は、それぞれ、二対の対比から成り立っています。第一の箴言の対比は「野菜」vs「肥えた牛」と「互に愛する」 vs「互に憎む」であります。第二の箴言の対比は「平穏」vs「争い」と「ひとかたまりのかわいたパン」 vs「食物の豊か」であります。そして、この対比を通して箴言の作者が伝えているのはこういうことです。思索をまず家族に限定すれば、大変皮肉なことに、食生活が満たされることと家庭内の平和が満たされることとが反比例する傾向にある、ということです。★しかし、逆に言いますと、家族全体が互いに欠乏を忍耐している時には、互いを慮る心、いわゆる思いやりや、やさしさという愛の要素が働きやすい(断定的な言明は避けます)ということでしょう。 この傾向は、食生活だけに限定されない傾向であると思います。更に言えば、家族という枠組みを越え、家族的共同体と呼べる集団(教会も含む)にも、大なり小なり当てはまる傾向なのではないかと思わされます。 ★とは言え、家族的共同体がこの傾向に縛られたままであるとしたら恐らく、家族的共同体はある程度の大きさを越えることができないように思います。教会について言えば、主イエスとの関係を土台として「受けるよりは与える方が、さいわいである」という信仰に生きる共同体であるかどうかが生命線であると思わされます。
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