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信仰は“命”なのです

★主イェスが語られた譬えです。「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。★主イェスが語られたのは「命の持つ成長の神秘」です。人間は科学の方法を用いて、生きている命の現象を説明しますが、命そのものは全く説明できません。なぜなら、言い古されている言葉ですが、私たち人間は、命の現象を化学記号を使って説明できても、それは既に存在する命の現象を説明しているだけであって、無から命そのものを造りだすことができないからです。★主イェスは、神の国の伸展がこれと同様だと語ります。主イェスがここで語られる「神の国」を「神の支配」と理解しますと、確かにその通りなのです。まず、現象的に言えば、イエスをキリストと信じる人が増えれば、「神の国=神の支配」が伸展していると言えます。そして、私たちは、人がイエスをキリストと信じるようになった経緯(現象)を心理学で説明することができます。しかし「何故、人がイエスをキリストと信じることが起きるのか」という本質的な点は、心理学では説明することができないのです。もしできれば、心理学を駆使して、イエスをキリストと信じさせる道が開けますが‥。★ヨハネの言葉で言えば、人がイエスをキリストと信じるとは「上から“生まれる”」ことなのです。つまり、ヨハネの言葉に従えば「信仰は“命”なのです」。主なる神様が“命”を生んで下さるのです。
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