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キリストの血は、良心が弱い者から、良心が強い者への成長をも支える

★今私たちは、パウロが語る「良心が弱い者」という言葉を聞いています。そこで、ごく簡潔に「良心」のある場所とその成長について一つの推定をしたいと思います。
★パウロの記述に基づきますと「良心」は「心の働き」の一つの様に思えますので「心に属している」ように思えます。と同時に「心の外」にあって「心の働きを監視している」ようにも思えます。★「良心」と翻訳されるギリシャ語は「συνειδησις」という言葉で、言葉の成り立ちから「一緒に見ている」と理解することができます。この言葉からは「心に属しつつも独立して働く」と考えることもできますし「心から独立しつつ連携して働く」とも言えます。★私はローマ書の講解の中で、エゼキエル書第36章25節28節の御言葉がキリスト者に成就していると語っています。
(26)わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。
★この26節に基づき、キリスト者となった自分の心を考えますと「新しい心」の中に、新しい「良心」があるとは考にくいです。私の実感で言えば、私の「良心」が「私自身」に対して「新しい霊」と「新しい心=肉の心」に従って生きるようにという選択を迫るように思えます。★ヘブル10:22に、口語訳では「心はすすがれて良心のとがめを去り」とあり、新改訳2017では「心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ」とあります。共に「良心がきよめられる」という内容を伝えているように思えます。とすれば良心の働きも新しくされて(強められて・成長して)ゆくことが期待できます。
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