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魂の渇きを覚える時に

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★私は「魂の渇き」を覚える時に、詩篇第42篇を思い起こします。この詩篇には「魂の渇き」が見事に表現されていて、恐らく、自分の思いを代弁してくれるように感じるからでしょう。
(01)神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
(02)わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか。
(06)わが魂はわたしのうちにうなだれる。それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、ミザルの山からあなたを思い起す。
(09)わたしはわが岩なる神に言う、「何ゆえわたしをお忘れになりましたか。何ゆえわたしは敵のしえたげによって悲しみ歩くのですか」と。
★大袈裟かも知れませんが、これらの言葉一つ一つを、私の心が抱え持つ「自分では表現することの出来ない思い」の発露のように感じます。しかし、私が詩篇第42篇を思い起こすのはそれだけの理由ではないとも考えています。それは「渇き」を覚える「魂」の中に、もう一つの思いがあることを自分自身が知っているからだと思います。
(05,11)わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。★幸いなことに、私の心の内には、自分の魂に対して「神を待ち望め」と語るもう一人の自分がいるのです。この自分に対して聖霊が、忍耐強く、触れ続けて下っているのだと信じています。
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