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キリスト者にとっての「信仰」の働き

sks-49
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。(ローマ8章38,39)
ルターがの御言葉を適用して語っている言葉に感動しましたので、紹介します。◆神が「信仰」を送られたのは、信仰がささいな事がらと関わるためではなく、全世界が耐えられないような、死や罪やこの世や悪魔と関わらねばならないからである。◆全世界は死に逆らうことはできず、死を避け、その前におびえ、死に克服される。しかし、「信仰」はしっかりと立ち、全世界をむさぼり食う死に逆らって立ち、勝利を得て、命を餌にするこの飽くなき大食漢を飲み込んでしまう。◆同様に、全世界が肉を屈服させ静めることができないために、肉が全世界を支配し、肉が望むことがその通り行われるので、全世界がそれで肉的になっている。しかし、「信仰」は肉に攻撃をしかけ投げ倒し、主導権を握って押さえ、肉をして仕えさせる。◆同様に、人は、この世が荒れ騒ぎ、迫害し、誹謗し、憎み、妬むことに耐えられず、誰もが屈服して元気を失う。「信仰」の外でこの世が上に立って勝利するからである。しかし、「信仰」はそれを嘲笑し「このようなすべてを足で踏み付けて、そこから喜びと楽しみを造り出すのである。★ルターが語りますように、キリスト者は「死や罪やこの世や悪魔と関わらねばならない」ことを知っています。そのために必要な武器が「信仰」であり、その「信仰」が向かわせる神の言葉であります。
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