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「信仰によって既に義とされた者」の歩みは本物になることですから苦労するのです

◆今朝は、ルターの言葉を聞きます。起点になっている御言葉は、これです。「信仰は、行いを伴わなければ、それだけでは死んでいる。行いの伴ったあなたの信仰を見せなさい。(ヤコブ2:17,18)」◇福音を誇る人々の中で、福音のために喜んで1へラー(昔のドイツの小額銅貨銀貨)でも失ったり、自分の欲望や思い上がりを捨てようとする人が、いったい何人いるだろうか。◇どこの農民も市民も、たとえ勧められても、福音のために、穀物を市場へ1ペニヒも安く出そうとする者はいない。むしろ、1グルデンでも高くできるなら、大いに喜んでそうするだろう。また、市民の誰もが、もし、弱いビールを普通のビールのように売ることができるとしたら、何の良心の咎めも感じないでそうするであろう。◇それは、あらゆる種類の商売や手仕事においても同様であり、誰もがどうやって人々をだまして甘い汁を吸おうかと懸命になり、ただがつがつして欲張りになり害を及ぼす。◇願わくは、神が福音と良心を、それがとどまり得るところにとどまらせてくださるように。◆キリスト教信仰は「信仰によって既に義とされた者」たちが「御霊の法則」に信頼して「死のからだ」を用いて「具体的に義に生きるようになる」ことを目指しています。ルターの視点で言えば、この言葉で理解していることを生きることが信仰を見せることになります。


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