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キリスト者にとっての「大前提」②

sna-071
★人間の持つ自然の理性は、「聖書の神は『三位一体』の神である」という啓示をなかなか受け入れることができません。その背景にあるのは「人間の思考」です。★それなら「人間の思考」が完全に研究し尽くされているのかと言えば、そうではないのです。研究し尽くせない根本的な理由は「人間の思考を研究するのが人間自身である」という点にあります。研究対象を客観化できないということです。★その結果、一般に「1+1=2」という数式は「人間の思考」が客観的に確認できる絶対的真理であると考えられてしまいます(実際は大前提として信じられているだけです)。ですから、「三」であって同時に「一」であるなどということはあり得ないと結論することになります。★これに対して、「私の思考」が聖書の啓示に従うなら(大前提)、「私の思考」はまず、聖書の神が、存在するもの全てを創造されたことと、聖書の神の「存在の仕方」は「三位一体」である、と理解することになります。次に「私の思考」は「三位一体」の神によって創造されたこの被造世界の中に、聖書の神の「存在の仕方」である「三位一体」が反映されているはずだと考えます。★この出発点に立ち「一」が「統一性」を啓示し「三」が「多様性」を啓示すると考えてみましょう(適用)。そうしますと、「私の思考」は、聖書の神にあっては、「統一性」と「多様性」が同時に矛盾無く成り立っていると考えます。と同時に、「私の思考」は、聖書の神は私に対して「被造世界にあっては、『統一性』と『多様性』とが可能な限り調和できるように管理しなさい」と求めておられるのだ、と考えます。この思考は、私にとって納得ができます。
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