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私達罪人の「必然」

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★聖書が啓示する「律法」を考えた時、最も重要なのは、「律法」の大前提として、「律法」の賦与者である創造主なる神様と「律法」の受領者である「被造物である人間」との間に「愛の関係」が「ある」ということです。★律法の記述から明らかなように、律法は基本的に「ねばならない」と記されています。この「ねばならない」は創造主なる神様の側でも、「被造物である人間」の側でも、創造の時に締結されたアダム契約においては、「そうするのが当然」という「必然」の意味であったと推察されます。★ところが、アダムとその妻がアダム契約に違反した時以来、この「ねばならない」は「被造物である人間」にとっては「命令」や「義務」の意味としてしか聴き取れなくなってしまったのです。その理由は、「被造物である人間」が、アダム契約に違反した時、創造主なる神様との間にあった「愛の関係」が破壊されてしまったからです。★このことを理解するためには、自らの持つ人格関係を観察すればよく分かるはずです。「愛の関係」が形成されていない人間関係の間で「ねばならない」という言葉が語られる時には、「命令」や「義務」の意味としてしか聴き取れません。★昨今、実母の再婚相手による子供への虐待や虐待死が報道され、聴くたびに、胸が痛くなるのですが、聖書によれば、「愛の関係」の土台となる「愛」は、主イェス・キリストの贖罪の御業を通して賦与される、御霊の実であると啓示されています。聖書の言葉を用いますが、堕落した「被造物である人間」は、創造主なる神様に、愛を求めなければならないのです
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