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キリスト教信仰の実体として「柔和な人」となるには

★山上の説教にある「幸い」の教えに登場する「柔和な人」について考えます。
(05)柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
★この主イェスの言葉は詩篇第37篇をその根拠とすると講解されています。そこで、詩篇第37篇を読んでみますと確かに11節にこう記されています。
(11)しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。
★この11節の冒頭が「しかし柔和な者は」と始まっていますので、逆接の判断に基づき10節以前を読みますと「柔和な者」の対局が「悪しき者」であることが分かります。そこで、1節~10節に語られた「悪しき者」の対局が「柔和な者」の説明になると解釈することが出来ます。★そのように解釈して「柔和な者」の説明を拾いますと、次のように語られています。まず総じて言えば、「柔和な者」とは「悪をなす者のゆえに、心を悩まさない者」です。★続いて、詳細に言えば「柔和な者」とは①「主に信頼して善を行う者」です。「柔和な者」とは②「主によって喜びをなす者」です。「柔和な者」とは③「自分の道を主にゆだね、主に信頼する者」です。「柔和な者」とは④「主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望む者」です。「柔和な者」とは⑤「怒りをやめ、憤りを捨てる者」です。★ここでパウロの言葉を持ち出せば、「御霊の実は、愛、喜び…柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」とあります。キリスト教信仰の実体として「柔和な人」となるには、聖霊によって「御霊の実」を結ばせていただくことが鍵となります。
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