信仰の砦である教会
29/12/13 00:00
★信仰によって歩むとは、まだ見ていない将来を主なる神様が支えてくださると信じて歩むことです。ですから、恐れや不安が生まれるのは当然です。ですから、主イェスは約束の言葉を残されました。★あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。☆きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。☆だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。☆まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。★これが、信仰共同体としての教会へ向けられた約束の言葉であり、そこに属するキリスト者一人一人に向けられた言葉です。求められているのは、キリスト者個人と同時に教会としての応答的信仰ですが、個人の応答的信仰が揺すぶられる時でも、教会としての応答的信仰が確固としていれば、個人の恐れや不安は越えられて行くのです。