牧師のページ

人は聖なる畏れを欠くことが出来る

pcd10071
★北王国イスラエルの七代目の王アハブが宮殿に隣接する土地を中々手に入れることが出来ないことを知った妻イゼベルが行ったことを再確認します。★(07)妻イゼベルは彼に言った、「あなたが今イスラエルを治めているのですか。起きて食事をし、元気を出してください。わたしがエズレルびとナボテのぶどう畑をあなたにあげます」。(08)彼女はアハブの名で手紙を書き、彼の印をおして、ナボテと同じように、その町に住んでいる長老たちと身分の尊い人々に、その手紙を送った。(09)彼女はその手紙に書きしるした、「断食を布告して、ナボテを民のうちの高い所にすわらせ、(10)またふたりのよこしまな者を彼の前にすわらせ、そして彼を訴えて、『あなたは神と王とをのろった』と言わせなさい。こうして彼を引き出し、石で撃ち殺しなさい」。(11)その町の人々、すなわち、その町に住んでいる長老たちおよび身分の尊い人々は、イゼベルが言いつかわしたようにした。彼女が彼らに送った手紙に書きしるされていたように、(12)彼らは断食を布告して、ナボテを民のうちの高い所にすわらせた。(13)そしてふたりのよこしまな者がはいってきて、その前にすわり、そのよこしまな者たちが民の前でナボテを訴えて、「ナボテは神と王とをのろった」と言った。そこで人々は彼を町の外に引き出し、石で撃ち殺した。
★起きたことは単純です。時の権力者が、権力者に逆らわない人たちを用いて、権力者の前に全く無力な人物を殺し、自らの願望を実現した、ということです。★歴史が教える一つの事実は「権力者の罪をその時即座に検証することはできない」です。福音の意味を知ったキリスト者が理解するのは、創造主の御前で人生の決算が行われるということです。聖なる畏れの基本です。
RapidWeaver Icon

Made in RapidWeaver