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神の言葉はキリストの教会で語られなければならない

sks-21
★「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさし神の家である。ここは天の門だ。

(創世記第28章17節)

★ルターはこの御言葉に基づいて次のように語っています。◆神の家は、私たちの持っているような、素晴らしい大きな建物を指すのではないことに注目しなさい。神はそこに大きな丸天井があることも、聖別されていることもお尋ねにならない。いや、神はあそこに住んでおられるが、決してご自分のために家をお建てになることはない。◆神がお住みになる場所には、いったい何がふさわしいのか。神の言葉がそこにあることだけが、神がそこにおられることに適っている。御言葉のあるところに神は確実にお住まいになり、逆に、人が自分の望むだけ大きな家を彼のために建てたとしても、神は、御言葉のないところにはお住まいにならない。◆御言葉の説教されるところ、そこに神は確実におられる。しかし、そうでないところは、たとえ人が教会を次々に建てたとしても、神の家ではない。◆教会は、そこで神の言葉が純粋に、混ざり物なく説教されるときにのみ価値があるのである。★主なる神様から委ねられた働きと使命とがどれだけ果されているかは全く心もとない状態ですけれども、このルターの言葉が、「わたし」を支えている言葉であります。

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