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「赦す」ことと「裁く」こと

★聖書的な原理で言えば、「赦す」ことは「和解」を生み、「分離」していた人格が「和合」する方向へ進みやすくなります。それに対して「裁く」ことは「対立」を生み、「和合」していると思われた人格が「分離」する方向へ進みやすくなります。★「赦す」言葉が「和解」へと向かわせる典型が、主イェスの言葉とステパノの言葉であると思います。十字架上での主イェスの言葉は次のように記録されています。[34]そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。殉教したステパノの言葉は次のように記録されています。[60]そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。★どちらの言葉も、主なる神様と罪人との和解を目指させる言葉ではないかと信じます。★「赦す」ことに対しては、「あまい!」との声が上がり、その声は理解できます。にもかかわらず、福音はパウロの言葉を提示してきます。[04]他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。★どのような事態に直面しても、最終的には「裁く」ことではなく「赦す」ことを優先するということです。これは、極めて信仰的な判断であり、一般的な判断ではありません。
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