牧師のページ

「主イェスとの出会い」のために仕える教会

sna-027
★今日の主日礼拝の聖書個所で、私たちは「クレネ人のシモン」が主イェスと出会った記事を読みました。とても当たり前のことなのですが、「クレネ人のシモン」が主イェスと出会うことがなければ主イェスを知ることはありませんでした。そして主イェスを知ることがなければ「クレネ人のシモン」はキリスト者になることはありませんでした。★今述べたことは一次証人のキリスト者たちに当てはまる事ですから、主イェスを直接知ることのない二次証人以降のキリスト者たち─私たちのこと─については、次のように表現することになります。★「私」が主イェスについて知ることになったのは、主イェスを知ったキリスト者に出会った所から始まりました。「私」は主イェスを知ったキリスト者に導かれて、キリスト者達の集まる「教会」に行きました。「私」は「教会」を通して「主イェスを伝える聖書」に出会いました。「私」は「聖書」を読むようになり、キリスト者達から「聖書」を解き明かされ、「聖霊なる神」のお働きにより、直接お会いしたことのない主イェスをキリスト(=救い主)と信じ、キリストにある幼子として生れ、キリスト者になりました。そして、その時以来、「私」は、「聖書」と「聖霊なる神」と「教会」と共に、キリストにある幼子からキリストにある成熟した大人になるべく、信仰の歩みを進めています。★なぜ、このようなことを書かせてもらったのかと言えば、出会い方には多様性があったとしても、人がキリスト者となる出発点には、必ず、「イエス・キリストとの出会いという一点」がある、ということです。★簡単なことではありませんが、わたしたちの教会もこの「一点」のために仕えたいと願わされます。
RapidWeaver Icon

Made in RapidWeaver