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「私は生かされている」という信仰告白

sks-11
★弟子のペテロが信仰告白をしたと解釈されている聖書箇所です。
[15]そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
[16]シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
[17]
すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
★この箇所を読んで、私たちの心を捕えるのは「
あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。」というこの言葉です。私たちは通常自分の頭で考え、理解し、納得することを「信じ、受け入れます」。この意味で言えば、私たちがキリスト者となる時に行う「信仰告白」は、私たちの側の意思決定であると考えますし、それは間違ってはいないと思います。★このような「当前の感覚」を前にして、時に、ごく普通の人達からも「私は生かされている」という言葉を聞きます。先の「当前の感覚」とは明らかに異なります。日本語は元々主語を曖昧にする所がありますので、ここで突っ込みを入れますと「それなら、誰が、あなたを生かしているのですか?」と問うことになります。★この問いに対して、どのように答えるかによって、その人の持つ宗教的自覚度が明らかとなります。更に言えば、その答えによって、その人の持つ宗教が明らかになります。★この点に於いてキリスト者は大変明確な答えを持ってます。私たちは「天にいますわたしの父」即ち、天地創造の神によって、この一瞬一瞬も、生かされているのです。
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