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黄金律


★「黄金律」の三回目です。「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。」今日はこれまでとは異なり、この黄金律をごく一般的な視点から考えます。★そうしますと、この黄金律を生きる際に、常に心に止めておく必要のある、一つの現実があります。その現実とは、この黄金律を生きてみればすぐにわかることです。それは、「人々からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにしても、全てのことが人々に受け入れられるわけではない。」という現実です。★この「受け入れられるわけではない」という言葉を、「感謝されるわけではない」とか「喜ばれるわけではない」と言い替えることも出来ます。★「何事でも人々からしてほしいと望むこと」に対して、わざわざ悪意ある事柄を当てはめ且つ実践することは、始めから前提されていないと読むのが自然ですから、黄金律に従って私たちが考えることは「良きこと」なはずであります。にもかかわらず、現実には「感謝されるわけではない」、「喜ばれるわけではない」ということが起こるのです。★しかしその時に、「これが律法であり預言者である。」という言葉が輝きます。「律法であり預言者である」とは、主なる神様の御旨であると言い替えることが出来ます。つまり、「相手の出方に係わらず、黄金律を生き続けよ!」ということです。なぜなら、主なる神様こそが、私たちの忘恩にもかかわらず、求める私たちに対して、最善のものを備えてくださることを止めないからであります。
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