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全的堕落という人間理解

sks-36
★マスコミを騒がせた一人の青年の事件から、聖書が啓示している人間理解を再確認する時となりました。最初は、主イェスが語られた言葉です。「(18)口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。(19)というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、(20)これらのものが人を汚すのである。(マタイ15章)」★続いてヤコブの手紙からです。「(13)だれでも誘惑に会う場合、『この誘惑は、神からきたものだ』と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。(14)人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。(15)欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。(ヤコブ1章)」★キリスト者は以上の人間理解を明確に記憶するため、「神のかたち」に創造された人間が全的に堕落していると理解します。大変厳しい人間理解ですが、この「全的堕落」がいい加減に扱われる所では、至極簡単に「罪」が実を結んでしまいます。★「人間は素晴らしい無限の可能性に満ちているのだ」とだけ声高に叫んでいる時に見えなくなってしまう落とし穴です。★主の祈りの中には「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」とあります。「赦された罪人」にすぎない私たちですから、「試み」に直面する時、この「全的堕落」の故に「内なる欲」が動き出し「悪しき者」のささやきに聞き従ってしまう可能性があることを主イェスはご存知なのです。ですから、キリスト者は、主の祈りを「祈る」のです。
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