牧師のページ

神の言葉に向かって主体的に動く

★箴言の持つ意味は「知識を与えること」や「知恵を与えること」だと言えると思います。その箴言を読み始めると「耳を知恵に傾け」とか「心を悟りに向け」とか「知識を呼び求め」という言葉に出会います。これは、信仰者の側が、知恵や知識や悟りを得るために自らが動き出すことを述べています。★このように思い至って読み続けますと「銀を求めるように、これを求め」とか「かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば」という言葉に出会います。これは箴言の著者が銀や隠れた宝を見つけだすために、人間が必死になって動くことを比喩の焦点として持ち出しているからです。★一般的に言えば、人間は、金、銀、宝石を得るためなら、とてつもない情熱を注ぎます。箴言の著者は、その情熱と同じだけの熱情と真剣さとを持って、知恵や知識や悟りを求めよ、と勧告しているわけです。★この勧告に出会って、私たちは気づきます。「それと同じように」という言葉掛けをしなければならない程に、知恵や知識や悟りを得るために、私たちが主体的に動くことはないのです。★このことは、次の言葉にも通じます。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」。もし、私たちが「あの時」に、「神の口から出る一つ一つの言で生きる」存在であるということに目が開かれなかったとしたら、私たちの人生はどうなっていたでしょうか?ですから、私たちにとって「あの時」は「恵みの時」であったのです。★今週も、私たちは、主体的に「神の口から出る一つ一つの言を求めて生きる」者として、共に、歩みましょう。
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