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主イェスによって霊の目を開いていたただくために

pcd11048
★ヨハネが伝えた次の記事は大変有名です。(1)イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。(2)弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。(3)イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。★有名な3節の言葉に後ろ髪を引かれながら、この出来事の最後に目を向けます。(39)そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。(40)そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、「それでは、わたしたちも盲人なのでしょうか」。(41)イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある」。★文脈から導かれる解釈がずれていなければ、この「パリサイ人たち」は「生れつき、霊的に盲人である」となります。主イェスはこう主張されました。(4)「わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。(5)わたしは、この世にいる間は、世の光である」。光を光と認識できるためには「目が見えて」いなければなりません。ところが、「パリサイ人たち」は、主イェスを「光」と認識できていないのです。このように、誰であれ、主イェスを「世の光」と認識できないなら、自分が「生れつき、霊的に盲人である」ということを示してしまうのです。
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