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「空の空、空の空、いっさいは空である」ならどうするのか?②

★私は「コヘレト」が語る「」とは「一方で、その存在がある(実在する)事は確実だと分かるのですが、他方、その存在(の全体)をつかみ取る事が出来ない」状態と解釈しています。★この解釈に立ち「では、私たちはどう考え、どう行動するのか」について考え始めました。前回は「肯定的な思考」について取り上げ、その典型としてパウロが提示したローマ8:28を取り上げました。★今日はその「肯定的な思考」を補足解説するため、伝道の書11章6節から始めます。

[06]朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。実るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つともに良いのであるか、あなたは知らないからである。

★この言葉に対して「言外の言」─「二つともに悪い」を読み取る解釈があります。もしかしたら、蒔いた種の全てが実を結ばないかもしれないけれども、明日に向かって種を蒔けと「コヘレト」は語っているのだと。この読み取り方を「実存的肯定思考」と呼ぶ事にします。★次に、主イェスの言葉です。マルコ4章2628節(抜粋)です。
[2628]「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。★この「地に種をまく」比喩は「創造主は被造世界を摂理的に支配しておられる」という信仰を前提しています。この信仰を敢えて「創造論的肯定思考」と名づければ、ローマ8:28は、この「被造世界に対する創造主の摂理的支配」を確信しているからこそ語れるのです。(続く)

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