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「空の空、空の空、いっさいは空である」ならどうするのか?⑤

★前回「創造論的肯定思考」の人は、絶望と思える時でも「神の御手の中にある意味」を求めて「自分の魂」に対して「神を待ち望め」と語りかけ得ることを考えました。今日は、一気に方向転換をして「否定思考」について考えます。★まず最初に、コヘレトの言葉そのものを取り上げましょう。

[02]伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
[03]日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
[04]世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
[05]日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
[06]風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
[07]川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。

★多くの人たちは「人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか」という言葉に、仏教的意味での「」を感じ取るのではないでしょうか。そして同時に、この言葉は確かに「否定思考」と言えます。★しかし、今日の時点で押さえておきたい事は、コヘレトは「人が労することは一切無益である」と語っているわけではないと読めるのです。続く4節7節の内容を考えてみれば、当時のコヘレトにとって「いくら人が労しても、影響を与える事ができない領域」が語られていると読めないでしょうか?「人間、努力すればなんとかなる」という言葉は、人生の難問全てに対応出来る真理命題ではないのです。

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