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頑な心を柔軟に

★例年同様、TSG中等科のオリエンテーションキャンプのご奉仕が無事終了しました。背後でのお祈り、心より感謝いたします。★さて、昼食をとりながら、長い間男子校の先生をしておられたある先生から、女子校と男子校の生徒の興味深い相違についてお聞きしました。もちろんこの先生独自の経験からくる判断とすることもできますが、お聞きください。★「男子生徒の場合、先生自体は嫌いでも、語っていることが正しければ、概ね、耳を傾けてくれる。しかし、女子生徒の場合、先生が嫌いなら、どんなに正しことを語っても、ほとんど、耳を傾けてくれることがない。」★この分析が正しいかどうかは別として、この言葉には一つの真理契機があるように思えます。その真理契機とは、「男女の別なく、好き嫌いという感情的判断が先に立ってしまい、話者の話を聞く心を閉ざしてしまうという心理傾向」のことです。私たちは案外、知らず知らずのうちに、この心理傾向に引きずられてしまうのではないでしょうか?★このことは通常、無意識的に起こると考えられますから、場合によっては、厄介な心理傾向といえます。主イエスの生涯で言えば、パリサイ人や律法学者たちの中にこの心理機制に捉えられてしまった人たちを見いだします。また、パウロが実施した伝動旅行の先々で出会ったユダヤ人たちの中にも見いだすことができます。この心理機制に捉えられてしまうと、相手の言葉に真理が語られていたとしても、聞き取ることがありません。パウロが引用したイザヤ書の言葉が思い起こされます。「あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍くなり、その耳は聞こえにくく、その目は閉じている。」★このことは、頑なユダヤ人だけのことではないということです。
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