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赦すことができない自分をも赦される恵み①


★今日は、主イエスの語られた次の言葉です。「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう」。この言葉は「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください」との祈りと関連しています。★今日は多くの注解者とは異なり、この御言葉は文字通り、私たちが赦すという事実を根拠として神からの赦しを要求することができる道を開いていると理解してみましょう。そうしますと、それはとんでもない解釈だと言われそうですが、そうでもないのです。なぜかと言いますと、私の理解が間違っていなければ、山上の教えとは、主なる神様が与えられた律法の本来の意図や意味を主イエスが明確に教えて下さっている言葉なのです。★わたしがお伝えしたいことはこうです。キリスト者になる前の私たちは、聖書の教える罪について、自分が考える基準で罪を考えていたはずです。しかしその後、聖書の教える罪とは、主なる神様の側が考えておられる基準であることに気付いたはずです。ですから、律法はわたしたちをキリストへと導く養育係となったのです。★これと同じことです。主イエスが言われる「ゆるす」ということは、自分が考えている基準でのことではなく、まさしく、主なる神様が考えておられる基準で「ゆるすなら」という意味なのではないでしょうか。ですから、自分の心に正直であれば、常にお手上げなのです。この御言葉は、キリスト者になった者をも含め、私たちを常にキリストへと導く御言葉なのです。
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