牧師のページ

「心の姿勢」の持つ力

★心の世界を学んでいますと、心の姿勢における「静」と「動」の存在を思わされます。この二つのうち、今朝は「動」を考えます。★「動」の筆頭は使徒パウロの次の言葉に見出せます。「わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。」読んでの通り、まさに使命達成に向かう使徒パウロの情熱と積極性がほとばしり出ています。★心に勢いがあるとはこのような心の状態を言うのだと思います。(1)進むべき目標が明確です。(2)目標達成のために自分自身の全存在をかけています。(3)目標に向かっている姿勢が全くぶれていません。★加えて、私たちはこの言葉の背後にある、パウロの体験を知っています。「わたしは…苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。」★誤解のないように加えます。「行為の大きさ」を考えたいのではないのです。「心の姿勢」の持つ力を考えたかったのです。
RapidWeaver Icon

Made in RapidWeaver