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自分の命

★主イェスはこう語られました。[26]たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。★この中の「自分の命」という言葉の意味を、“人”はどのように聞き取るのでしょうか?当然のことですが、暗黙の内に、私たちが観察できる自然界のみが存在の全てであると考えている人にとっては、今生きている自分の命のことを考えると思います。この意味で言えば、この命は、動物、植物の区別なく、自分の観察できる全ての命と同様の位置にあり、太陽からの距離で考えて、まことに絶妙な位置にある地球の環境が狂えば、その存在を失ってしまう命であります。★これに対して、主イェスが語っておられるのは、創造主なる神が被造物である人間に与えようとしておられる命のことです。この命は、真の命と呼ばれたりしますが、聖書の啓示に基づけば、次のように表現出来ます。(あくまでも私の表現ですが‥)一方では、今この時に生きている命との連続性を保っています。と同時に、他方では、罪によって限界付けられた時間制限という枠を主イェスの贖いによって取り払われた命であります。ですから、主イェスはこう語られます。★だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。★主イェスが伝える「自分の命」とは「主イェスの贖い」と関係する面を否定してしまうと、失ってしまう命なのです。
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