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幸いなるかな─キリスト者生活の骨格

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★加藤常昭先生は、マタイによる福音書第5章に記述されている「七福の教え」と同じように、ヨハネの黙示録にも七つの祝福があることに注目しています。ギリシャ語の直訳で言えば「さいわいなるかな…」と始まっています。★①「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。(1:3)」②「今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである(14:13)」③「見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。(16:15)」④「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである。(19:9)」⑤「この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。(20:6)」⑥「見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである。(22:7)」⑦「いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。(22:14)」★加藤先生は、文脈を意識しながら読み、語られている「さいわい」の意味を確認することを勧めています。★大きく言えば「」と「終末」が意識されていることが分かります。「終りの時にもたらされる希望(救い)を確認しつつ(1ペテロ1章)、今を生きる。」これがキリスト者生活の骨格です。
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