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既に義とされているがゆえに、義に生きる

★3月の教会学校は、山上の説教を学びました。山上の説教が伝える一番最後の主イェスの言葉は、以下の言葉です。
[24]それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
[25]雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
[26]また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
[27]雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
★主イェスの強調点は明確です。教えの言葉を聞いて「行うかどうか」であります。キリスト者の場合は、主イェスの言葉を「真理」と理解していますから、「真理を生きるかどうか」と言えます。あるいは、主イェスを「主」と呼んでいますから、「従順に従うかどうか」とも言えます。言葉の言い換えはどうであれ、求められていることは「聞いて行う」という切り離せない二つの行為です。★そして、キリスト者の場合は、「義と認めてもらうための実践」ではなく、「既に義とされているがゆえにの実践」です。
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